【小細胞肺がん】影が見つかった日。【2023年5月】

VS 小細胞肺がん

もうご存じの方にはくどくて申し訳ないけども、みずには家族がいない。

家族どころか第三親等まで全部いない。

縁を切ったとかではない(事実上切れてるのもいたかな…)

とりあえずひっくるめて、すべて鬼籍に入っている。

自身結婚も離婚もしてない、一人っ子で子供もいない。正真正銘おひとりさまというやつである。

まあそれでも、自分の年でここまで近親もろとも、3年前に全滅しているというのは、なかなかいないとは思うのだが。

知らないヒトもそのうち察すると思うので、敢えて明言しない(年齢ね)けど、この状態でひとりになり、なおかつこの年になったら、やはり『もしも』のコトを考えてしまう。老後なんかよりも、そのいつか来る日のことを考える。

だいたい『どうしてもやり残したコト』というのが大して思い浮かばない。その時その時で、自分にやりたいコトが出来たら、それに取り組む事も出来るけれど、ふっとそれがなくなったような。そんな隙間の約2年前に、自分は福岡に『帰って』きた。

ひと昔前まで福岡で暮らしたコトはあるが、自分は福岡出身ではない。うちのお墓は曽祖父が建てたのだが、それが福岡県宗像市というところにある。うちの両親もそこに今は眠っている。

一応、ココのカテゴリーでは闘病記のように記しておくけど、肺がんを患っている患者様に役立つような情報は、あまり書かないかもしれない。というか、ほぼ書けないだろうなと思う。

Xでお見掛けする、いわゆる闘病垢さんのがん患者様々とあんまり似たところがないので、所詮ブログは自己満足になってしまうし、その点だけご了承いただければ幸いです。

叶えたい、叶えて欲しいたったひとつのコト

わたしは絶対叶えたい、いや叶えて欲しいとでも言おうか、たったひとつだけそれがある。

それは『両親と同じお墓に入りたい』。

死生観は個人で色々だ。自分の場合だと昔はガチメンヘラだったから、ODしては救急車で何度も運ばれた黒歴史がある。

時に本気でやらかして、本当にヤバかった時もあった。

けれど、その疾患が消えて、見送るべきヒトを見送ってしまった今、生きるだけ生きてそのご褒美には、来世で先に逝ったヒトに会えると、勝手に思っている。

ホントにそうなるかどうかは怪しいけど。

それでも、ひとりだけど何とか生きて、あっちで両親に会いたいなあとぼんやり思っている。

自分は遠縁の親戚とろくに付き合いがないので、他の地方にいたら身元不明の孤独死扱いにされる気がして、怖かった。

現に、母の上の妹は無縁仏になっている(本人が望んだ結果で厳密には孤独死とは違うのだが)。

ママは10代の時亡くなったし、パパは往生したけど成人して家を出てからは、ずっと別に暮らしていた。

片親家庭にはなったけど、両親は互いに仲が良く、ママは愛情深く、パパは規律を教えてくれたから、自分は恵まれていた。

よく夢に見る、小さい時育った団地。あの小さな部屋みたいな所でいいから、来世はそこにいれたらなぁ。

ママの三十三回忌までには福岡に戻ろう。

胃が痛くて病院行ったら見つかった、肺の影

肺がんが見つかったのは、福岡に戻った1年半後くらい。

それまで住んでた大阪市内では喘息気味だったのが、福岡来たら咳の一つも出なくなったので、今から考えたら何だか不思議な話だなーと思う(注:今でもがんそのものの自覚症状はない)

因みにコロナワクチンは1度しか受けてない。反ワクとかじゃなく単に具合が悪くて、打ちに行き損ねた。身体はいつも痛く怠かったけど、5年以上前から持病の線維筋痛症のせいだと思っていた。本当は運動した方がいいとも言うけど、いつもどこかしらめちゃくちゃ痛いので、半ひきこもりだったからかコロナのようになったこともない。

あ、そういえば武漢肺炎とか言われてた初期のころに、熱と咳が酷くてPCR(←初)したら陰性。喘息気味になった時にも、レントゲンは撮ったけど、それらしき影も指摘されなかった。

2023年に入って一人暮らしに限界を感じたので、障がい者グループホームに入居した月の末だから、5月31日(キリがいいから覚えてる)。新しい暮らしに、ようやく少し慣れたかなあというところだった。

その前の週だかに珍しく熱が出て風邪っぽくなったので、薬を貰って帰宅。その風邪症状はすぐに収まった。数日後、急に胃がめちゃくちゃに痛くなった。

どちらかというと呼吸器系統より、胃の方がやられやすくて何度も胃潰瘍になってるし、そのうち1回は高熱を出した直後に起こしたので、なーんか悪い予感がしたので、急いで近くの病院で診て貰うことにした。

しかし胃カメラもしたけどさほど問題なく(びらん程度)、先生がさらっとレントゲン見せて

『左の肺に腫瘍がありますねー』という。

見ると確かに今まで見たことない見事なまん丸い影が。大きさは3センチくらい。

え、なんともないんですけど。咳すら出ないんですけど??

どうやらすぐに大きな病院に行った方がいいらしい。

呼吸器内科がある大きめ病院が2か所あるけど、名の知れた方に待ちがないならと頼んでみたら、1週間もないくらいの日に予約が取れた。

そんなもんなの?と思いつつ、肺に腫瘍ってまさかのやつ?

迎えに来たグループホームのサービス管理人(以下サビ管)は

「でも見つかったのは不幸中の幸いじゃないですか」みたいなコトを言う。

病院の診察も一応付き添いが必要らしいので、サビ管さんについてきてもらうことになる。

なんかめっちゃいきなり大げさなコトになってきた。

肺腫瘍ってどんなん?って知らんかったので検索したら、

え。95パー以上悪性なの。え、マジか。知らなかった。

確かにヘビースモーカーと言っていい自分はなってもおかしくないし、覚悟してふかしていたけど、現実になってみるとやっかいじゃすまない。

ママは卵巣からがん性胸膜がんでこの世を去った。あの時のことはいつだって思い出せる。もう助からないって言われたことが、生まれてから初めて、本当に辛い事だった。

そういえば母方はほぼガン家系なのだ。今はもはや遺伝だけのものでもないけど、循環器やら脳外科やらにお世話になってるのが多い父方と自分は違い、そっち方面には縁がない(なくていいんだけど)。

おばあちゃんが老衰だけど…おばあちゃんは嫁いできたヒトだからあまり関係ないとして、おじいちゃんもママ姉妹も、全員ガンになっている。全員それが原因で亡くなっているわけではないのだが。

その日だけは、自分の部屋でひとりで泣いた。

死ぬのが怖いわけでもないけど、思えば何で泣いたんだろうか?

わたしの叶えてもらいたいことは、今すぐのお願いごとでもないし、宗像の菩提寺の住職さんが本当にいい方で、現在身元引受人になって貰ってるくらいだし(無縁仏とかの)心配もない。

まだその時は何もはっきりしておらず、何も分からなくて、そんなもん相手に戦う勇気すら全くなかった。

だから泣いてたんだなあと後で思った。一種のパニックみたいな感じに近いかもしれない。

次回は6月、検査検査の日々からですm(_ _)m

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