わたしは紫陽花が好きだ。
でも今年は近所の家の紫陽花が、とても眩しく見えた年だった。
前回の肺腫瘍発見から1週間経たないで、家から近い大病院に行った(何故か初診の日は忘れた)
かなり待ったけど、わたしの主治医となるK先生はとてもハキハキした、若手だが判断が素早くてやり手だと思う(ずっとそんな印象)
診察に行った時から想像通りというか、やはり悪性(ガン)前提で、今後検査していくことになった。
検査入院でないと気管支内視鏡?って出来ないのかと知る。
6月入ってきてからは、とにかくやったこともない検査検査のオンパレード。
肺の検体?(気管支鏡か)が入院せんと出来ないものと初めて知る。
今現在は3クール目後の抗がん剤副作用の方がよっぽどしんどいけど、それまでは入院より検査通いの方がしんどかった。
他に主な検査というと、PET検査といってがんが転移してないか、特殊な薬剤を静脈に注射して待機して2回CT?みたいなのとるやつ、あと同じく頭部の普通のMRIではないMRI。←普通のMRIより時間がかかるから
それと放射線治療のための検査。
あろうことか、PET検査の直前になって意識不明のようになってしまって、一回目中止になったのと、放射線のための検査に一回行けなかったので、余計疲れた(一言でいうと疲れた)
こんな大病をしたことがないので、ひと月に様々検査うけてたら体力ないし、そら疲れるか…
気管支内視鏡の記憶ほぼ無し。水も飲めないのがつらい。
どの検査を、どういう順番でしたのか覚えがあやふやなんだけど、気管支鏡カメラは6月中旬頃だったと記憶してる。2泊3日だった。
その検査だけじゃなくてCTとかも撮ったから、結構バタバタしてた。その時は本来の病棟に入れなくて、何故か産婦人科病院にいたけど全然ヒトいなかった。
やっぱり少子化(・ω・)?
検査午前中だったんだけど、まず辛かったのが前日の晩から絶食通り越して、薬飲む時以外水すら飲めなかったコト。病院ではマスクしてないといけないし何だか口が乾く。喉を通りこさ無ければいいだけで、口の中に水を含ませるのはOKだから、それを何度もやってた。
普段夜行性だからか全然寝れない。夜中何度も部屋の洗面台でうがいみたいなコトをしてた。
当然検査当日朝も絶食なので、いつの間にか眠っていたらお呼びがかかった。どの階に行ってどんな検査したのか、ほぼ覚えがない。
胃カメラは何度も飲んだことあって、そりゃ特技は胃カメラを上手く飲めてシレッとモニター眺められますよ←くらいなんだけど、
そんな甘いもんではなかったのだけは確かだった。麻酔は一部しててもぐるぢい。ガチぐるぢい。……と思ってたのもつかの間、そこから記憶ないです。
意識混濁ではなく単に寝ちゃっただけだと思うけど。検査後1時間は安静でまだ水もダメですって言われてたけど、目が覚めてみたら、終わってとっくに1時間以上経ってた。
その検査で、悪性腫瘍がどんな部類のものなのか分かる。結果がだいたいそこから2週間後……。
PET検査は長すぎる。暇すぎる。
それから1週間たぶん経たないうちにPET検査。内容は前述の通り。
まずなんか血圧かなんか測って、大丈夫ならルートから中身が得体の知れない注射をする。それが入ってくると身体が熱くなるんよね。やった事あるヒトなら分かると思われるけど。
で、全身にその物質が満遍なく回るまで(料理か)1時間強、別室待機させられる。
どこもそうなのか知らないけど、ウチの病院のPET検査室結構キレイで、『ネカフェみたいだなあ』って思った。ネカフェよりは大きめの個室だけど、テレビあって、更にやっぱりネカフェみたいなリクライニングシートある。いや、マジで似てるよあのシート。
PET検査自体1度注射前に意識混濁して、出来なかった事があり(昔からたまーに超低血圧になって、脈弱くなって訳分からんくなる・ホントにたまーにだけど)、2回目はサビ管さん(グループホーム管理人)監視の元に置かれたため、全く休まった気にならんかったです……。
PETでは他に転移してるかどうかが分かる。肺のがんがさほど大きくなくても、転移が見つかれば、一気にステージ4になってしまう。
結果が怖いというより、早く病気の正体が知りたかった。
そして6月下旬、検査の結果を伝えられるコトになる。
小細胞がんと言われてもショックじゃなかった。でも何故泣いたのか
最終的に診断されたのは、5月末に胃が痛くなって病院に行ってから丸1か月経ったくらいのことだった。
肺がんの種類さえ分からなかったわたしが、小細胞がんであること、喫煙者がなりやすいことなど、色々説明してくれた。
ステージはⅡb と判断された。
普通肺がんでそんな早く見つかる人は珍しいという。
たいてい見つかった時はどこかしら転移してて、自覚症状が出てくるからヒトによって手遅れになってしまう。けどわたしの場合は胃が痛かったついでに、たまたま見つかったようなもんだったし、ラッキーだったかもしれない。それだけには感謝しないとならない。
サビ管さんも同席してたけど、私は死ぬことより、治療が怖かった。親戚で抗がん剤断念したりとかも何人かいたし、やっぱり怖い。
それでもK先生がどんどん、抗がん剤の説明やら放射線治療の話を進めていくので、正直頭がおいつかなかった。
いいですか?って言われてもそこで泣くコトしか出来ずに。イエスともノーとも言えなかった。当時のわたしからしたら。
忘れもしない、6月30日のコト。
では次回はいよいよ入院に向けて!(・ω・)
治療をどうするかもだいぶ悩みましたが。。。
その日は治療をするかどうか一旦返事を保留して、1週間後までに決めることになった。
続く(・ω・)
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