【メンヘラ期みず開始】 人生ブラック時期開幕【終わらなさそう】

みずというヒト

第3回目です(・ω・)…あ、みずですこんにちは。

前回読んでない方はこちらから↓(・∀・)

2回目ではみずのメンタル破壊→彼氏入れ替え?→みずパパ怒りまで(・ω・)

そこから坂を転げ落ちるように年を…取りましたが、同時に立ち直るきっかけ?が出来るようになるというか、感情にコントロールがつくように少しはなったのも、人生相当の年数がかかったなぁ。

でも、まだ病みたての頃はかわいかったんじゃ?って書きながら思ってきた第3回目(・ω・)

こんなんだったから余計廻り道もしたねってお話。

縁が切れても、切れなくても親子は親子というのは遺伝・・・

さて、みずが家を出て(新)彼氏さんと同棲始めたら、実家の鍵を取り換えたみずパパ。

確かすぐに直接話は出来なかったような…(ちょっと記憶が定かじゃないんだ昔過ぎて)

なんでも父方の近親と連絡を取ってみたところ、以前からみずに関する愚痴はさんざ言ってたらしい(´・ω・`)

働いてたうちは、みずも父方親戚とはそこそこ付き合いしてたので、話を聞くと『土日はどっか外泊してる』だとか、いやママが生きていた時から「桂子(うちのママ)はみずが休みになるとすぐ田舎に連れていってしまう」などと愚痴を言っていたらしい…

ママもママの実家に電話して愚痴ってたのは知ってた(毎月の電話代がそりゃとてつもなかった)が、

パパよ、あーたもかい(・ω・)

まあ逆の立場だったらわからんくないよなあ。彼氏紹介したわけじゃないし、それこそ

『どこの馬の骨とも分からないものがァ(以下ry』である。一応ひとりムスメである。実質家出である。

因みに、ママは物凄く身持ちのお堅い女性だったから後で色々「なんでママは結婚したんだろう」と思ったほどである。

ちなみにパパは、昭和一桁頑固おやじをまんまいくヒトだったから、子供のころみずはパパがすげぇ怖かったのも事実()

おじさんとこで話し合いをすることになり、みずもやはり同じ血を引いてる娘。やはり縁が切れても切れなくても親子とはそういうモノなのだろう。

毒親だろうが、そうじゃなかろうが受け継ぐもんってあるんだよね。もう遺伝ですよ(´Д`)

とりあえず連絡入れたら家には戻れるようにしてくれた(なお鍵は貰えんかった模様)のと、彼氏のどういうヒトかという説明(パパと彼の勤務時間がほぼ合わないので、合わせることが不可能だった)と、約束事をいくつかして、みずは無事無罪放免?になった。

改めて引っ越し。そして被害妄想からの不眠症。家から出れないの始まり

そうしてはじまった新しい二人暮らし、普通なら嬉しい同棲なんだろうけど、そうでもない。

始めの1年は喧嘩することもほぼなかったけど、問題はそこではない。

まず最初に転がり込んだ彼のマンションなんだが、会社が借り上げしてるので規約違反になってしまう。だからどこか別のところに引っ越さないとならない。

そこでフリーターやってる合間に、みずは一旦不動産賃貸会社に就職してたコトがあったんだけど、そこの先輩に部屋さがして貰ってお隣区にお引越し(・ω・)

みずママは料理がそんなに上手くもなく、おふくろの味なんてものではなく(基本切って出す、焼いて出すだけ)、本格的に料理とかやりだしたのはその時からです(家事とかも)。ちなみにゲームもしたことがなく、当時はやっとプレステが出たくらいの時期(バレバレですやん)。彼氏がゲーム大好きなのを傍らで見てて、人生初めてしたゲームは『ぷよぷよ』。

しかしめっちゃハマってしまって、如何に10連鎖を決めるかを日夜研究し、やりこんだ頃に急に意識が飛んだ(・ω・)

ホントに、パタッて倒れたらしい。いわゆるゲーム酔い。コレ読んでる良い子は気を付けてクダサイ(は?)

あと、A列車は自分で時刻表を作りこむくらいやったり、スト2は波動拳が出せず指にマメが出来たり、鉄拳でも10連だそうと頑張って同じコトになったり…でも、RPG系(ドラクエとか)は全くダメ。攻略本最初から読まないとダメ。

殺される前にまずダンジョン嫌い…(方向音痴)

因みにリッジレーサー(ナツカシ)も好きで、前回家出を手伝ってくれた友達カップルの中では、断トツ1位(なおみずだけリアル免許もってなかった)、一番にゴキブリカーをゲットした。今はもうああいうのは出来ない。

しかし彼氏くんはあれなんだよ、ゲームに当たり散らすヒトでそれが嫌だったので、『ゲームやる時はヘッドホンしてくれ』って頼むようになったさね(´・ω・`)

遂に仕事が出来なくなったヒト、精神科の門をくぐる

引っ越ししたけどバイト辞めたし、彼氏くん社員さんとして年の割には、給料は良かったと思う(高卒にしては)。

それに忙しすぎてほぼ使うこともないせいで、貯金がかなりあったから当座は凌げてたんだよね。だけどやっぱり働いてほしいと思うわけで。そんなわけで元地元とはめっちゃ逆側のレンタル屋で働くことにした。

しかし、前の職場のことがどうしても脳裏をよぎる。『間違ったらどうしよう』『失敗したら陰でなんて言われるんだろう』…もう脳みそがその連鎖で止まらない。毎回毎回そんな感じ。しかも彼氏さんが準夜勤みたいな生活してるから、シフトもどうしようかわからんし…。メンタルがそう壊れていることすら、彼氏くんには救ってもらったところがあったからどうしても本心が言えなかった。

そのうちそれがどんどん悪循環になっていって、シフトが入っている前日に寝れなくなってしまった。

コレが今でも残っている不眠症の始まり。

心と身体は繋がってて口で何か言うより、ずっと正直なもの。当日遅刻に欠勤が重なって、遂にクビ(そらそうよ…)

そこでやっと(引っ越してもう3か月くらい経ってから)、彼氏くんに心の現状を話した。理解したのか出来なかったかよく分からんと今では思うんだけど、当時の彼の年齢からすれば、こんな自分を受け入れてくれたのはありがたかったなぁと思う。

それからは、普段近所のスーパー行くとか、もうやきうは殆ど見てなかったけど、神宮常連時代お世話になった姐御分の家にお泊りカラオケ行ったり、病気のコトとか地元のコトは全く関係ない、プロレス女子友と観戦行ったり(船木対鈴木みのるは、そんなみずを救ってくれたもんだよ)してた。

それは出来たけど逆に駅前とか近所に行けなくて、彼氏さんが休みの時一緒じゃないと無理だった。引きこもりの始まりである。

当時精神科というものに行きたくても敷居が高くて、どうすれば行けるのか分からず(※ネットすら普及してない)、ある日区政だよりを見てたら保健所で『こころの相談』というのがあるのを見つけた。

無料で先生とかが聞いてくれるとあったので、とりあえず申し込む(まだ精神科行くことすら彼氏くんに言えなかったが)。当日は悩みなるものを何枚もの便せんに書いて、それを見せてワンワン泣いて、パニックの嵐になってしまったのだが、そこで病院を紹介してもらえることになった。

初めて『消えたい』と思ってからもう、1年以上経っちゃってた(´・ω・`)

最初は何の病気なのか分からず聞かず…薬も調べず時は過ぎる

そうしてみずは初めて都内の精神科をくぐりました。

後になって分かったけど、福岡でも知ってる医者がいるような有名なクリニックだった(・ω・)

確かに精神保健福祉士さんか?ケアマネさんみたいなヒトもいたし、先生何人もいたし、なんならクリニック自体3階建てだったから、どこもそんなもんだと当時思ってた(・ω・)

担当は女医さんだったんだけど、ほとんどなにも覚えがない。ただ薬を飲むのに抵抗がないか聞かれたけど、みずは幼少期めちゃ身体弱い幼児で、月2は近所の町医者に連れていかれてたので、クスリなんて何とも思ってなかったからいいですよーと言っただけ。

今からするとものすごい量のオクスリをしょっぱなから貰ってた気がする…(・ω・)

因みに彼氏くんには事後報告。『みぢゅえ(そう呼ばれてた)がそれで治る方にいくならいいよ』ってコトで反対はなかったけど。

今は最初はごく少量から、オクスリを出すはずだから大丈夫だとは思うけど、当時のみずは就寝中、突然ベッドの上で急に立ってパンツを降ろしてしまい( ゚Д゚)ってなった彼氏くんが

『みぢゅえー!ココトイレじゃないよトイレあっちだよー』

って連れてかれて割れ…違う、我に返ったコト思い出した。しょーもな。

マジで移住する1年前、九州旅行(帰省?)→そして故郷から逃亡

見出しは時の彼氏さんがヒロスエファンだったから()

佐賀出身のヒトだったんですよ(ラグビー強いところでおハム行った嫁がヤバかったヒトと同じ高校)で、一緒住みはじめて1年ちょい過ぎたくらいの、みずの誕生日に合わせて冬期休暇を取ってもらい、帰省&みず自身自分とこのお墓参りなどなどで、九州に旅行することになった。

クリニック通いは続いてたけど、当時まだお中元お歳暮文化がまだあった時代。チャリで2分くらいの小さい配送会社で、短期バイトとして3週間くらいはなんとか働くまでにはなった。

近かったのと、メンタルのコトとかあまり気にせずいてくれたのと、社員さんや他のバイトさんが交通機関使わないといけないヒトがほとんどだった。

夜遅くまで残れるみずを買ってくれてたので、途中からは仕分けより事務に回され、夜は所長さんと最後まで残ってた。深夜時給貰えてウホウホ。彼氏は最低でも2時位にしか帰宅出来ないから時間もばっちり。

3週間だけで手取り20万とかバブル崩壊も( ゚Д゚)な世界だった(・ω・)…まあ、それをお小遣いに充ててましたけど。

ってことでいざ九州に行くわけですけど、まずみずパパは同居を認めてはいたものの『墓参りに相手を絶対連れて行くな』とか言ってきたのでハイワカリマシタ…とだけ返して(まあそれは連れて行く気はあまりなかったし)。先にあっちに佐賀の実家に帰省してて貰って、自分は1日遅れて初めて佐賀なるところに行ったんですけど(今は佐賀市内になったはず)

佐賀駅に、彼パパと彼氏が迎えに来てた。そこまではいい。そして彼がこっそーり耳打ちしてきたのだ。

うち、言ってなかったけどぼっとんなの

そう、今ではもうどこにあるか分からない、絶滅危惧種なのか(?) ようは『汲み取り式トイレ』ってやつ。

(一応)23区ネイティブ(※足立区)で、母の実家も昭和初期の建物で土壁ではあったけど、岐阜市ってとこは昔から下水道の整備が割と早かったらしく、みずはぼっとんトイレに縁がない(・ω・)

あの下が真っ暗で臭くて、下から何か手が出てきそうな…

そしていざあちらの実家にお邪魔したはいいが、

今度は方言が全く分からない。 彼パパはまだ標準語が理解出来るが、彼ママは標準語が分からない。

よって会話にならない…

九州でパスポートのいるところは鹿児島だけだ、と思っていたみずの概念が崩れ去った瞬間である。

あと、夕食でムツゴロウが出てきてガチでビビった(※そっと残した模様)。

でも結局このころから、彼のモラハラみたいなのが始まるようになるんよね…。特に九州男児なのかと言われたらそうでもないんだけど、手みやげで東京で評判の名店のおかき持ってったら、後で

『評判悪かったよ。あんな味の濃いやつ』…いやそんなストレートに言うことねぇだろって思うけど(´・ω・`)

こっちだってムツゴロウキモイわ(・ω・) …その頃はモラハラの概念すらなかったしなあ。

で、結局ドームの隣のホテル泊まったりやら、長崎観光したりとか、後はまぁまぁ嫌なコトもなく帰京しましたが。

因みにみずの誕生日は大雪で、ホテルの窓から見る大雪具合が凄かったです、はい()

ただ、誰も自分を知らない土地に行きたかった。【福岡移住の理由】

その約1年後。彼さんの宅配ピザチェーンが福岡に殴り込み…いや出店するって事が決まり、すっかりお仕事も出来るようになったらしい彼さんに、店長ポスト&九州出身ってコトもあり異動通達が。

一度あっちから別れ話が出たことがあったのだけど、他に好きなヒトが出来たとかそういうのでもない。

・・・恐らくだけどその若さで、『オレはみずを養ってる』ってことをずーっと言われてたので、距離を置きたかったんじゃないかなあと思う。たまに家事もさぼって外食になったりすることもあったし(´・ω・`)

まぁああいう家で育ったら、相手に求めるものがわかるな(今になって思う)

そこでみずパパが登場。あんなに鍵まで替えた癖にパパは『お金のことでストレスが溜まって、それが問題なのだったら独り立ち出来るまで、少ないけど月にいくらか援助するから』と3人でサイゼ行ったとき(気まずかったなぁ)にお願いされて、その危機は通りすぎた。

福岡は自分とこのお墓があって、ママが亡くなる前から何回も来ていたから岐阜市(ママ実家)の次に知っている街。彼さんとは特別な話し合いもなく、自動的に福岡に行く感じになった。ただ仕事の都合とかで、あっちは先に引っ越したけど(みずは友達の結婚式出席で残ってた)

当時のみずは、なんかかつてのやきう友達とも、あまり会いたくなかった(よく通ってた時バイトの同僚も連れてきていたからってのもある)。

あのイチローと古田対決で話題だった日シリも何試合か行ったのに、どんなだったのか思い出せないくらいには、ボールパークから離れてしまった。

出かけるなら、カラオケ屋の同僚に誘われてJリーグチームの練習見に付き合ったり、プロレス好き女子パイセンと観戦したり。音楽や旅行関係の知り合いと会うとか、あとはお笑いが好きで知り合った仲間と、当時あった渋谷公園通り劇場に行ったりしてた。

実家に帰る以外、地元というものを避けに避けまくってた。当時まだどっかで言われてるような気がしていた。

ピザ屋で仲もよくて、結構お世話になった同僚が結婚式に呼んでくれたんだけど、来てたメンツがことごとく『反みず』な方々ばっかりで、予想通り95%シカト喰らったし(´・ω・`)

だから遠くに行きたかったんですよ。

当時、福岡行く前最後にいつものプロレス女子パイセンと観戦後食事した際、彼女が言った。

『みずちゃん凄いなあって思う。わたしもね、何か月か前に彼氏が転勤なってついてきてって言われたんだけど、こっちに残りたかったから別れたの。だからついていくってすごいよ』と。

彼女は色々なバックボーンを知らなかっただけで、みずは彼氏についていくとかいうつもりではなかった。とどのつまり結局嫌で、仕方がない土地から離れたくて逃げたくて、ただただそれだけだった。そのチャンスに乗っかっただけで。

幸いみずパパも『四国だとか東北だとか、全くいった事もないようなところだと心配だけど、福岡なら安心だからいい』と今度は快く言ってくれたし。

既にドロップアウトしてる人間なのでええい!って感じでその春、なんの郷愁もなく東京にバイバイした。

・・・・・・・・・・

すみません3回で終わらんかった(・ω・) まあ自分史で残しとこ←

次回福岡第一ラウンド編。

・メンヘラさんたちにカルチャーショック
・入院してカルチャーショック
・10年以上続くことになる(超歪な)恋愛の始まり

コレだけは1記事でまとめられるよう頑張りますので、お付き合いの程を・・・m(_ _)m
ではまたね(・ω・)/

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