【クラブ投手物語】森井文哉投手(ハナマウイ所属)スペシャルトーク!【前編】

やきう『PICKUP』

こんにちは、みずです(・∀・)!

今回からこのコーナーでは3回にわたって、あるクラブ選手にお話を伺ったコトをインタビュー形式にしてご紹介します。

彼の名は森井文哉。

サウスポーで、以前濃グランセローズにも所属していたことがありますから、独立リーグファンであれば聞いた事がある名前ではないでしょうか?

今彼はふるさとの長野を出て、千葉県内で働きながら、社会人クラブのハナマウイに所属しつつ日夜奮闘しています。

そんな森井投手に小さいころからの野球人生、信濃での苦しい時代までなど、色々振り返って貰い、今後の目標までお話を伺いました。

この機会にぜひ森井文哉という投手を知ってくださるとうれしいです(・∀・)!

まずは子供時代から、大学途中までのお話です!

大家族・森井家5人兄弟の三男。野球は親父が教えてくれました

みず(以下み): 色々今まで聞いてるコトではありますが今回はよろしくお願いします!

森井文哉投手(以下略森井):はい!よろしくお願いします!

み:今更ながらですけど森井くんちって大家族だということや、いくつくらいから野球を始めたきっかけなどを教えていただけますか?

森井:野球を始めたきっかけは、兄2人が少年野球チームに入ってたからです。仲良い友達がサッカーやってて、僕もサッカーやりたくて練習に参加してましたが、野球チームのコーチにバレて。

野球やるか?と聞かれて「はい」と答えて次の日にはグランド行ったのが野球の始まりです。始めたのは小学校にあがる前の5歳の時ですね!

み:おお早い(笑)もう人生ずっとガチ野球ですね。

森井:小学校のチームでは、とんとん拍子で成長できていて苦労はしなかったのが印象的です。悔しい試合は何度もありましたが、次の試合があったりするので切り替えられてました。

親父との練習は毎日仕事終わってからの7時半くらいに始まりました。兄弟5人相手に10時くらいまで練習に付き合ってくれたのは、すごい感謝しています。

み:いやぁいつ聞いてもパワフルなお父さん・・・

シニアと高校球児時代の貴重な思い出・あれこれ。悔しかった、厳しかった、話し合えたこと。

み:それから中学でシニアに上がるわけですけど(針盛シニア)、そこでの印象的だったことや悔しかったこと、逆なこととか。

森井:シニアに行った時はレギュラーでなかなか出れず、家に帰った時の練習もサボりがちになってしまい始めて、挫折というかきつい日々を過ごしました。その中でも副キャプテンをやらせてもらい、声を出すことは誰にも負けないくらいやろうと思ってめちゃくちゃ元気にやってました!

み:シニアで最初の悔しさを味わったって感じだったんですね(´・ω・`)・・

ところで、森井くんの高校時代の写真を(森井くんの書いた)noteで見る限り細身に見えるんですけど、中学卒業時点で細身な方だったんですか?

森井中学卒業で154センチ、70キロのおデブちゃんでした(笑)

み:ええ?!身長今のみずと変わらんw (今の子は成長が早いと聞くけどまだそういうタイプも存在するのか…)それじゃ、高校入ってから背が伸びたのね。

森井:そうですね!174になりました。

み:あと森井くんは左投げの左打ちですが、普段の生活もそうなんですか?お箸とか…

森井:オール左です笑

み:なるほど…さて、前(noteで)見た話しだと、別の高校に最初行きたかったとありましたが、ぶっちゃけどこだったんです?

森井:松本美須々ヶ丘高校ってところです。

み:特に野球の強豪ではないんですが、なぜそこに?

森井:兄貴と一緒に野球がやりたかったんです。(みず・ホントそれで行きたかったのか…)

(松本工業高校時代の森井投手)

み:結果、松本工業に進学して高校球児になったワケですけど、最初の印象とかどうでした?

森井:1年の頃は厳しい上下関係に悩まされました。しかしなんとか乗り越え、2年の春からエースになることができました!チームを県大会に導くことができてよかったです!

み:上下関係は厳しかったけど同期では結構何でも話し合える感じ(・ω・)?
または自分らが上になって変えていったりとか?

森井:自分らの代で秋の大会負けて監督が変わりました。上級生になって話し合えるようになりましたね!学年でミーティングして、何を言っても「俺たちの監督はあの人だから、あの人についてこう」と話になって僕達が何年振りかのベスト16を決めることができてよかったです!…高校時代のライバル1個下の筒井の存在は、僕の中ですごい大きかったです!

み:やっぱりそういうチームの雰囲気の良さは結果にでますね。

セレクションに合格して、山梨学院大学へ進学。施設に感動、身体作りから。

(山梨学院大時代の森井投手)

み:では大学時代に話を移しますが、どういう経緯で入学になったのでしょう(・ω・)?

森井:(高校時代に)山梨の高校と練習試合した時、そこの高校の監督が大学の監督に「松本工業に面白い左ピッチャーがいる」っておっしゃってくれて。それで大学のセレクションに呼ばれて合格して入学になりました!

み:対戦相手の監督さんが大学の監督さんに伝えてくれたのね、それは嬉しい(・∀・)!…人生で初めて県外に出て、環境も色々変わったと思うのだけど、そういう中で大学野球での第一印象ってなんでした?

森井:周りは名前きいことある高校多くて僕は無名校。周りのレベルが高くてびっくりしたのはあります。先輩方も凄くて驚いたのが第一印象です!あとは施設に感動しました!

み:山梨学院大、やっぱり施設凄いんだ。

森井:すごいです!野球に集中して取り組める環境でした。

み:山梨学院大も最近強くなってきてますよね(・ω・)?…そのスゴいヒトらを目の前にして、やったろう!って気持ちになったと思うけど、入学してから最初の目標は何だったです?

森井:まずは体作ることが大事だと思いました。最初はCチームだったのでBに上がることが目標でした!

み:グループ分けって何チームあったんですか?…高卒でNPB行く選手でまだ細い選手もいるけど、森井くん自身は、どのくらい体格変わりました?(変わるだろうけど)

森井: 1、2年の頃は3チームで、3年の頃からは4チームになりました!…筋肉が結構ついて身長も伸びましたね。帰省するたびに体がデカくなったなって言われました

(前編ここまで)

あとがき(前編)

森井くん実家のパワーが凄いなって、いつも感じます。野球熱心なお父さん。…ちなみにお父様、地元で消防団もやってるので、本当に責任感が強く、礼儀正しいなと勝手に想像してます。そういうところもしっかり森井くんは学んでるなって思いますし。

そしてここでは書いてないですが、ずっと見守ってくださっていたのがおばあ様だったそうです。

次の中編ではそのおばあ様に捧げたグローブなどの大学後半話、そして信濃時代へとうつります。

次回もお楽しみに(・∀・)!

森井文哉投手が一年前書いたnoteはこちらです↓

 

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