【クラブ投手物語】森井文哉投手(ハナマウイ所属)スペシャルトーク!【中編】

やきう『PICKUP』

こんにちは。みずです(・ω・)/

さて前回から、森井文哉投手現ハナマウイ所属・元信濃グランセローズ)に野球人生のお話を伺いながらの中編です。

前編では野球を始めたきっかけから、シニア、高校、そして大学前半まで話してくださったコトを掲載しました。

まだ前編を読んでない方はこちら(・ω・)!

森井くんの出身校である山梨学院大は、関甲新学生野球連盟に属していて、同連盟加入大学は1部だけでも現在8大学あります。1部にはその山梨学院大の他に、上武大、新潟医療福祉大、白鴎大などNPBにも選手を輩出している大学も。今後も注目度の高い学生野球リーグになりそうです。

そんな大学リーグで森井投手はどう過ごしたのか?そして信濃グランセローズに入団、彼を待ち受けていたもの。

では中編スタートです(・∀・)

ケガをして投げれなかった間、周りが見れるようになったと思います。

みず(以下み):森井くんの代は、最後の年がコロナ元年だった?ワケだけど、その前に部員が増えて上級生になっていくにつれて、野球に取り組む中で「特にココが意識が変わったり成長したな」というものはあります(・ω・)?

森井文哉投手(以下森井):入ってくる人たちもいい選手ばっかりだし、負けないようにと意識はありました。
2年の頃にAにいて怪我した時期があって、Cに落ちた時があったんです。

…でも下級生に練習する姿勢を見せたり、色々とアドバイスしたりできたことは良かったと思います。周りが見れるようになったのは成長できたと思います。

みず:その期間の怪我とかで焦ったりはなく?

森井:2年の春のオープン戦で何試合か投げさせていただいて、リーグ戦前に調子崩してメンバー落ちし、悔しい思いをしてそこで早くメンバーに戻れるようにと、紅白戦でたくさん投げた結果、怪我してしまったのがあったので。焦ることはなかったです。焦ってもいいことないとその時に思ったので。

みず:その時、復帰までどのくらいかかっちゃったんです?

森井:夏頃です。2ヶ月半ほど投げれませんでした。

みず:(・ω・)!2年秋のリーグ戦は…

森井:いや怪我明けから調子良くて。1人4年生が怪我したこともあったので、リーグ戦メンバーに選ばれました!

みず:怪我期間にさっき言っていた周りをみる目がついたというか。

森井:怪我の期間ですね。

大好きなおばあちゃんが空で見守ったリーグ戦初勝利。捧げたウイニングボール。

み:うんうん。3年生なって春リーグ、悔しい思いをしながら(本人note参照)リーグ戦初勝利を挙げました。その時の心境で、覚えることがあったら。

森井:先輩が肩を痛めて3回途中からの登板でした。ワンアウト一、二塁でまずは四球出したんですが(それ以上)ランナー溜めないことを意識して腕を振りました。ピッチャーゴロに打ち取りゲッツーで切り抜けました。

そこから8回まで投げてリーグ戦初勝利!今まで悔しかった思いが一気に晴れような気がしました。

初ウイニングボールは見にきてくれてたお母さんに「おばあちゃんの仏壇に飾っておいて」って言って渡しました。2年の秋に大好きなおばあちゃんが亡くなって。何とか大学のうちに、ウイニングボールを渡したいと思っていたのでよかったです!

み:noteにお祖母様の事が書いてあったけど、そんな裏話があったんですか(・∀・)…グローブも祖母様から買っていただいた物でしたっけ……

森井:そうです。

み:そりゃ大切に使う気持ちになるよね。おばあちゃん子て話だったもんね(・∀・)…さて、大学後半はどんな感じで?

森井:3年の秋はフォームを崩し、メンバーから外れました。そこでも悔しい思いをしましたけど、「来年必ず俺が主力で投げる」という気持ちでずっとやってました。その中でも後輩とかにアドバイスしたりできたのは、やっぱり成長できてたのかなと思います。

み:プロをホントに意識したのって、そもそもいつ頃からなのでしょうか(※編注:実は知らない人が結構いるのですが、独立に行くためにも学生野球の場合プロ志望届が必要である)?

森井:4年生が引退すると、僕が投手のキャプテンになりました。同い年にいるもう1人の人だろうと誰もが思ってたと思うのですが、監督から「お前の練習に早くきて色々準備する姿や、練習に取り組む姿勢を見て森井が適任だと思った」の言葉をいただき背中で引っ張っていこうと思いました。

…でも4年の春コロナが流行って、僕たちの春はなくなりました。ストレスも溜まりましたけど、その中でも後輩と話す機会もたくさん出来て、色々と話すことができたのは、いいことでしたね。そして秋にはリーグ戦12試合あって、8試合に登板させていただけて、ほぼフル回転で投げることができました!プロを意識するようになったのは4年の春からです!

み:森井くんは自分が悔しい思いをしてても、その代わり出来ることを一生懸命やってるって思うのね。そういうのを監督さんとか見て評価に繋がったのかなと思います。…森井くん自身、自分がキャプテン格になる事が多かったと思うけど、自己評価では何故だと思ってます?…それとそういう経験を、今後人生で生かすとしたら(野球でも何でも)、それはどんなコトだと思いますが?

森井:自己評価は難しいですが…練習に取り組む姿勢だったり、朝早く来て色々と準備するっていうのは、自分でも曲げずにやってきたと思います。後輩からとかや同い年から、頼られてるかどうかはわからないですが親しみやすい雰囲気はあると思います。

自分自身厳しい上下関係が嫌いなので、挨拶などをしっかりしてくれればタメ口でも許してしまうところもあると思います。
人と話すことが好きだったり、周りに気遣いながら動くことができるタイプなので、野球であったらチームメイトに色々と声かけたりできると思います。今後の人生には色々な方々と関われる仕事をしたいと思っています。

み:コミュ力高い!って野球だけじゃなくて他の社会でも大切だよね。あと挨拶してくれればいい、それはわたしも分かる笑

信濃時代、自分を持てていなかった。意見を聞きすぎて、戻るところがなくなった

み:ではプロを意識するようになったのは4年生の春、独立リーグでも行きたい気持ちは当時からあったということ?

森井:最初は社会人に行きたかったんですが、コロナでどこにも受けに行けずに悩んでました。それから地元でプロ野球選手としてやりたい気持ちや、厳しい環境に身を置いてみたい気持ちがあって、独立に行きたい!と。

み:コロナ元年だったのがね…。でも、ならばチャレンジ精神でやってみようと。トライアウトで合格したんですね。

森井:はい!!地元枠で!

み:φ( •ω•́ )フムフム…そして、森井くん2度の壁にぶち当たっちゃった(※編注:森井投手は信濃時代に2度イップスになった過去があります)(noteよんでだいたい伝わるけれど)入ったばかりで、初めてそうなった時の森井くんを、今考えたら自分ではどんな風に思ってます(´・ω・`)?

森井:自分を持っていなかったと思います。流されやすいわけではないですが…意見を聞きすぎて、おかしくなった時に自分の戻るところがなかったです。自分を持っていれば取捨選択ができたり、自分なりの意見が出て、コーチと色々と試行錯誤できたんじゃないかと思います。人間的に弱かったですね。

み:それは自分のメンタル的な、良い意味で使われる『ブレない』ていうのがなかったというコト?

森井:そうです。

み:周囲から意見を色々聞きすぎて、吸収したつもりが自分の投げ方が分からなくなるという、イップスの話でよく聞きはしますけど…。本当に難しい(´・ω・`)

(後編へ続く)

中編 あとがき

山梨学院大でレギュラーで投げるまで成長し、念願のプロへ。

最初は自主トレも順調だったとのコトでしたが、異変が起きたのはシーズンに入る頃だったと言います。

特にBCリーグの場合個人で部屋を借りる事が多く、周りの選手は試合に行っていてなかなか相談出来ない。そして深みにはまってしまう…。

大好きな野球のコトなのに悩んでしまうコトってすごくすごく辛いだろうなと思います。

投手なのに、怪我もないのに何で投げれないんって。体験したことのない人間には恐らく全て分かるものではないと思います。

弱いから、と言うけれど、わたしは誰でもなってもおかしくないんじゃ?と考えます。

寧ろ強い気持ちがあるヒトこそ、責任感も強いから申し訳なさもある。どんな人間でも自己肯定感は落ちてしまう。

メンタルの難しさを感じる…。

さて、信濃1年目の最初にイップスに陥った森井投手ですが、チームメートの協力もあり何とかシーズンを乗り越える事が出来て2年目を迎えます。

最終回の後編は、元オリックスの荒西投手との出会い、そして長野を出てクラブチームのハナマウイに所属してからの現在。

荒西さんとのエピソードや、憧れの投手、そして目標に迫っていきます(・∀・)!

お楽しみに!

 

↓森井投手が自ら書いたnoteはこちらです!↓

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